つけ鴨せいろ
吟匠庵(宮崎)(2008/07/26)
宮崎市 神宮西 1−17
TEL:0985-22-1519
コメント:そば店。椎葉産のそば粉を使用しているとのこと。このそばは風味とさっぱり感が両立しておりうまい。つけ汁は鰹だしがよくきいたかえしで鴨肉もほどよい歯ごたえでうまかった。ちょうど本日は市内で祭りをやっており、その名も「えれこっちゃみやざき」という。メインストリートの橘通を通行止めにして行う大がかりなもので、ダンスコンテストとして始められたとのこと。市民が一帯となって踊り盛り上がっているのを見て感動を覚えた。東京ではもはやこういう一体感は望めないのかもしれない。宮崎市は人口が30万人、中核都市だが市民が一帯となるのはこれくらいの規模が適正のような気がする。東京や神奈川では人が多すぎるし、地元民であるかの割合も重要であろう。当地や九州を回っていて感じることはこうした地元民であることから醸成される一体感、地元意識である。これが食文化をはじめとした文化をはぐくむ土壌になっているのは間違いない。もはや東京の時代ではない、単に経済力だけで見ていては見失う。東京は確かに前世紀は全国から人が集まりそれが活気の元になっていた。しかしながら、本来全国各地から異なる文化背景が集まってきて、同じ日本人とはいえども大した衝突もせずに東京というミクロコスモスを維持できてきたのはなぜか。それは、使い古された表現ではあるが、いわゆる「追いつき追い越せ」のキャッチアップ経済だったことに他ならない。目指すものがあり所得も増えて豊かになるのであればそれ自体が東京の価値基軸そのものであったということになる。しかしながら、ちょうど20年前のバブル時に日本が世界一といわれるようになった瞬間に、その価値基軸は終焉を迎えた。ところが、そもそもの構成要因がキャッチアップのみであり、東京自体として新たな文化の醸成や都市として市民の一体性、地元意識を経済効率の元に全て否定してきた。それが現在呪縛となって東京に重くのしかかってきているように思える。食文化についていえば、似たようなもの、同じようなものは確かに東京には何でもある。しかし本物ではないしむしろまったく別物である。フランス料理店やイタリア料理店にしても、いくら本場と東京で喧伝したところで当然本場ではない。では、東京の食文化はそもそもあるのか、開設者は最近ますます疑念を感じざるを得なくなっている。文化ははぐくんでこそ文化であり、単に吸収するだけでは文化とはいえない。東京はどうもそうなっているだけに過ぎないと感じざるを得ない。ともあれ、今回の当地訪問では文化が常にはぐくまれつつある当地の底力を改めて感じることができた。引き続き当地に注目していきたい。