チキンカツ
煉瓦亭(東京中央)(2009/05/23)
東京都 中央区 銀座 3−5−16
TEL:03-3561-3882
コメント:洋食店、明治28年創業とのこと。今回はチキンカツとオムライスを試した。ところで「洋食」だが、明治期にフランス料理を和風に食べやすくした、先人の苦闘の歴史である。明治初期には、肉を食べる習慣そのものがない中でどうにかして肉を食べさせようと試行錯誤が繰り返され、牛鍋やすき焼きはその名残りである。明治中期になると文明開化、富国強兵の象徴として西洋食=滋養食としての位置づけが明確になってくる。福澤先生は肉食を積極的に’すゝめ’、日本人の体格向上を図ろうと腐心されたほか、宮中晩餐会で正餐としてフランス料理が確立したのもこのころだという。こうした努力は続いていたが、肉食は高価だったこともあり、なかなか庶民には広がっていかなかった。そこで、和食の手法も取り入れながら庶民にもなじみのある一品を考案する動きが本格化してくる。これが洋食と呼ばれる各品が生まれてきた背景に他ならない。揚げ焼きのカツレットから揚げそのものへと発展させたとんかつの誕生はその典型であるし、パンに餡をいれあんパンを考案したのも同様である。こうして西洋食、特に肉食が徐々に日本に洋食として広まっていったわけである。ところで、近年の、特に東京における食の多様化、各国料理の紹介はその種類、内容とも驚く他はなく、東京は世界でもっとも多様な食に出会うことができる場所であるともいえる。しかし、かつて洋食が生まれたような、新たな食を生み出そうという動きにはつながっていないように見える。食は文化であり、文化とはすなわち土地や人々に根ざした、いわば、了解するコードに他ならない。そこで、異文化の食はそこで了解されるように変化、改良され新たな了解としてその土地での新たな食文化が生まれていく。東京では果たしてこうした動きが今後期待できるのであろうか。単に他の食文化を持ってくるだけではそうした発展はない。開設者自身の考えとしては、東京はもはや了解するコードを維持することができなくなってしまっているのではないかと思われる。そうなると異文化の食を持ってきたとしても変換するコードそのものがないのであるから、単に目新しさとして紹介され人々が飽きればそれでおしまい、という単なる消費で終わってしまうことになる。単に消費されるだけであるのならば何も東京である必然性はない。マーケットとして売り上げが立つから東京でやる、という以外に目的は見いだせなくなるであろう。了解するコードというものをどう維持するか、これは開設者で考えられるレベルをはるかに超えているが、少なくともこの現状では東京は経済力の衰退とともに食文化の面でも確実に衰退していくことだけは確かであろうと考える。