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エッセイ 道の駅スタンプラリー
<プロローグ>    
 かつては一般道走行中に休憩しようとなるとコンビニやドライブイン等主に有料施設に立ち寄るしかなかった。一般道だけを使って旅をしようとなると、運転はある種修行の感もあった。開設者もはるか昔に横浜から大阪まで一般道だけで行ったことがあるが、深夜のドライブは立ち寄れる場所といってもコンビニしかなくずいぶんきつい運転だったのを覚えている。
 道の駅がいつから始まったのかは定かではない。諸説あるらしいのだが、少なくとも平成に入ってからこうした一般道の不便さを解消すべく休憩施設を国土交通省が実験し始めたのが始まりらしい。鉄道の駅に対して道路にも駅があってよいのではないか、そうして道の駅となったとのこと。もっとも、駅とはもともとは街道沿いに馬と食糧、休憩施設を備えたもので律令制施行に伴い奈良時代に整備されたのが駅というの字の由来である。鉄道はもっと近年にあたるわけで、その意味では道の駅とは当初の駅(道路の駅)が再興されたともいえるであろう。
 道の駅は毎月全国各地で設置されているとのこと、その数900超。各地、特に山間部では他に商店やレストラン自体がない場合も多く、地元民の貴重な生活インフラともなりつつある。
 道の駅めぐりは、単なる観光では回ることがないであろう、各所を訪ねることができる。日本各地、特に地方はまだまだ知られていないところが多いが、息をのむ絶景や本当の食に出会える貴重な機会が各所にある。
 
<プロローグ>    
 道の駅の存在をいつ頃であっただろうか。車を走らせていると時折出てくる、あの独特の標識、車を寄せ駐車場に止めると休憩施設がありしばし休憩ができる。そして、物販店での買い物やレストランでの食事、駅によっては温泉もあり風光明媚な絶景に位置する場合もある。そうした多様な顔を持つ道の駅、私はいつしかその虜になり、気がつけば各駅を回っていることになった。本項では、そのいきさつと軌跡、道の駅の魅力を紹介したい。
 
 私はもともと車を運転するのが好きで、いつか全国を車で回るのが夢だった。幼少の頃、地図を見ながら、全国の旅路に思いを寄せていたものである。
 
○道の駅前夜、かつての一般道での旅路
 自動車免許を取得して、学生時代に東京から大阪まで一般道で行ったことがある。夜半に出発して一晩かかったであろうか、到着した頃には日が昇っていた。もう20年近く前になるが、当時は、道路標識も今とは随分違って決してわかりやすいものとはいえず、カーナビゲーションももちろんない。地図もろくに持たず出かけたものだから、今思えばよく到達できたと汗顔ものだが、やはり途中コースアウトしてしまった。国道1号をそのまま西進すればよいと思って出かけたのだが、まず豊橋でコースアウトした。ここでは、国道1号線と23号線が分岐し、豊橋から名古屋までの間は国道23号線の方がメインルートである。また、豊橋市内では路面電車も走っているため国道1号線の順路を正確にたどるのはなかなか難しい。その結果、コースアウトして国道1号線を見失ってしまった。やむを得ず最寄りの東名高速のインターチェンジに進路を変え、高速での行路に切り替えた。
 東名高速は、現在もそうであるが日本の大動脈であり昼夜問わず交通量が非常に多い。夜中にこんなに交通量があるのかと、高速に乗って早々辟易してしまった。それでも、大阪に行くためには西進しなければいけないためしばらくは東名高速に乗っていたのだが、旅費を安く上げるため、またどこかで国道1号線に戻ろうと考えていた。地図を見ればすぐにわかることだが、国道1号線は名古屋からは東名高速とは別ルートをとり、滋賀県大津市で再び合流する。このため、東名高速は名古屋で降りないと国道1号線に戻れないのだが、そんなことも下調べせずに東名高速に乗り続け、いつしか名神高速となり、関ヶ原を越えて滋賀県に入っていた。
 確か、滋賀県の八日市インターチェンジだったかとは思うが、高速を使い続けることで旅費がかさむので、再び一般道経由で行こうと、ここで高速を降りた。ところが、国道1号線はおろかここがどこであるかもよくわからない。今地図を見ると国道421号線が接続し、琵琶湖方面に進むと国道8号線に合流している。おそらくは、インターチェンジ出口の標識を見て、国道8号線方面を目指して進んだのだろう。当時は今と比べて全般に標識が少なく、国道であっても大差なかった。特に、国道番号が3ケタの国道の場合、標識がほとんどなかったような気がする。このため、国道のルート通りに走行するのは容易ではなかった。当時一体どうやって国道8号までたどり着いたのか、記憶は定かではないが、夜更けに八日市インター近辺をさまよった記憶はある。
 そうこうしているうちに、ようやく国道8号線にたどり着いた。ここまで来ればさすがに標識も多少は増えてきて、走らせれば大津を経て京都まで行く旨表示がある。これでようやくゴールも見えてきた、とほっとしたものである。
 この間、夜中に走り通しであるから、さすがに休憩もしたいし仮眠もしたい。高速道路ならSA、PAがあり随時立ち寄ることができるのだが、一般道だと当時はなかなかそうもいかなかった。コンビニに立ち寄ればよいのだが、当時は静岡県内のコンビニは深夜営業をやっていなかったらしく、静岡県内では一度も休憩できなかった。愛知県に入ってからコンビニがぽつぽつ見受けられるようになり、立ち寄って買い物や小休止をしていた。ところが、コンビニは買い物をする場所であるので、駐車場に止めて仮眠というわけにもいかず、夜半、小休止のみで早々と後にせざるをえなかった。
 旅路に戻すと、国道8号線は滋賀県栗東市までで、そこからは国道1号線が戻ってきていた。そのまま国道1号線を走らせる。やがて、滋賀県草津市に入り、有料道路京滋バイパスの案内が出てきた。これを経由すると京都までバイパスできるとの由、国道1号線で京都市内を経由しようか迷ったが、この間運転し通しだったため、さすがに大阪に早く着きたくなった。ここからは京滋バイパスで一気に抜けた。
 京滋バイパスは当時は京都市南部の鯨池まで開通しており、そこで降りると国道1号線に再び合流する。
 
 こうして、一晩かけて東京から大阪まで行ったのだが、到着したとたんに投宿先で眠りに入ってしまった。起きたのはその日の夕方だと思うが、一般道で一晩走るというのがいかに疲れるか、身に染みてわかった。夜中とはいえ信号でストップゴーがあることもそうだが、休憩施設が事実上ないというのがもっともこたえたのだと思う。
 帰路はさすがに全区間高速を利用した。長距離運転で休憩施設がないというのがいかに体にこたえるか、身に染みた一件であった。
 
○道の駅の歴史
 鉄道に駅があるように道路に駅があってもよいのではないか、という発想で道の駅は生まれた。駅数は現在952駅(2010年8月9日現在)が設置登録されており、全国津々浦々に展開している。道の駅がどういういきさつで設置されたのか、歴史をふりかえってみよう。
 道の駅は、国土交通省が所管し、設置基準や認定を行っている。設置者は自治体または自治体に準じる機関であり、民間事業者では設置できない。
 道の駅ができる前は、いわゆるドライブインが各所で営業していた。私も幼少の頃、家族で出かける長距離ドライブの際、ドライブインに立ち寄ったのを覚えているが、幹線道路沿いの各所にさまざまな事業者がドライブインを営業していた。
 一方、高速道路は、長距離ドライブを前提として建設されたものであるため、休憩施設は当初から考慮されていた。日本においては高速道は50kmごとにサービスエリア、25kmごとにパーキングエリアを設置することになっており、長距離ドライブが安全に行えるよう、休憩施設が配置されている。
 ところが一般道においては、民間事業者のドライブインは昔からあったものの、高速道路のような休憩施設は長らくなかった。簡易な駐車スペースやチェーン脱着場などの、車を停車するスペースは存在していたものの、長距離のドライブで適度に休憩をとりながら安全に運転するための施設というのは、近年までなかったようである。これにはもちろん事情もあり、日本の道路事情は長らく極めて脆弱だったため、改良工事を最優先にせざるを得ず、休憩所の設置は後回しになっていたこと、また、モータリゼーションの進展はまず高速道路の整備が優先されたこと、が理由としてあげられるだろう。今でこそ高速道路は全国におおむね整備がされたが、地方によってはまだ高速道路が未整備のところもあり、整備が終了したといえる状況ではない。
 その、一般道の休憩施設問題を埋めるべく、民間事業者によるドライブインや、コンビニエンスストアが全国に展開されてきたのだが、休憩施設という点では限界があった。営業が前提の民間事業であるから、例えば24時間駐車場とトイレを提供するとなると、収益事業にはならないため、民間での提供は難しい。実際、トイレを使用するためには、ドライブインでは営業時間内での利用しかできないところがほとんどであったし、コンビニエンスストアはあくまで店舗内の付帯施設であるため、トイレ使用のみは歓迎されない。
 こうした一般道の休憩施設状況に対して、やがて改善の動きが見られるようになっていく。
 
 約20年前、こうした一般道の道路状況に対して、改善の動きが始まった。当時、道路整備を担当していた建設省で、道路休憩施設に対する検討が始まったという。また、地方各地で、通過交通を取り込み町おこしをいかに進めていくか、そうした面からの試みも始まった。
 このようにして、休憩施設でありながら単なるパーキングエリアにとどまらずに地元産品を販売し地域活性化にも寄与する施設、名付けて「道の駅」が生成されていくことになる。
 とはいえ、「道の駅」が突然完成形で出現したわけではない。前述の通り、日本ではそもそも一般道に休憩施設を設置して長距離ドライブの便に供するという考えがなかったため、当時黎明期は試行錯誤であったらしい。
 「道の駅」の発祥地を標榜する駅は全国に数カ所あり、私もそのひとつに行ったことがある。駅内に記念碑があり、当駅が道の駅発祥駅である旨記載されていた。施設を見てみると、現在一般的なスタイルの道の駅とは微妙に異なり、物販店、道路交通情報提供施設、それから地元の集会所がそれぞれ別の建物で配置されていた。おそらくは、もともとは地元の集会所であったところに、物販店と道路交通情報施設を追加したのであろう。現在一般的なスタイルの駅は、これら施設が一体型になっているものが多く、道の駅としてのワンパッケージともいえるものだが、黎明期の当時は、道の駅としてどういう設備を設置すればよいのか、試行錯誤もあったのであろう。
 こうした初期の道の駅が全国各所に展開され、一般道に休憩施設が誕生することになった。長距離ドライバーにとっていかに朗報であったであろうか、当時のドライバー達の喜ぶ光景が目に浮かぶが、一般道でも休憩できるということは、長距離でも安心して運転できるということを意味する。道の駅誕生の意義は大きかった。
 先ほど、道の駅の生成過程が明らかではないと述べたが、各所に道の駅ができはじめたことにより、やがて設置の定義付けや整備ルール、認証方法が検討されていくようになった。
 
○第1回登録駅(108駅)
 平成3年に第1回の登録が行われた。各所で展開し始めていた道の駅について、建設省(当時)が道の駅として認証を始めたのである。第1回でこんなにたくさんの駅が登録されたというのは驚くが、高速道路が未整備の地域や、山間部で通過交通を取り込みたい市町村等、各設置者の期待がいかに大きかったのかがうかがわれるといえよう。
 登録にあたり、建設省(当時)は、設置基準を以下の通り定めた。
 ・24時間利用可能なトイレと駐車場を設置すること
 ・隣接する道の駅とは適度な間隔を開けて設置し、運転の際に適度な間隔で休憩ができるよう、設置場所を考慮すること
 ・幹線道路沿いに設置し、通過交通量も考慮すること
 こうして建設省(当時)の設置基準を満たした駅は「道の駅」として認証登録され、全国共通のマークを掲げることになった。
 道の駅のマークは、安心して休憩できるよう、人と車がモチーフになったものをデザインしており、道路上に案内板を設置してそこが道の駅であることをわかるようにしている。
 
 このようにして、道の駅は誕生していったのだが、その後全国各所で爆発的に増えることになる。その発展について、次章で述べよう。     
 
 
 
 
<道の駅訪問記>
1.プロローグ
2012年9月13日15時46分、北海道で114カ所目の道の駅「ひがしかわ『道草館』(北海道86)」に到着し、スタンプ押印した。当駅で北海道のスタンプラリーが終了すると共に全国スタンプラリーも終了した。この瞬間は今でもよく覚えているが、スタンプ帳を開いて押印するときに全国各駅を回った光景が走馬燈のように脳裏を駆け巡り、他に代えがたい爽快感、達成感が一気にわいてきた。押印する手が思わず震えたが、深い感動を覚えた。このスタンプラリーをやっていて本当によかったと思った。
道の駅スタンプラリーを始めたのは2008年2月17日、 宮崎県内の道の駅「高岡(宮崎1)であった。スタンプラリーを始めたのはほんの偶然で、たまたま当駅を訪ねて店内を見ていたところ、「スタンプラリー」と書かれた冊子とマップがあり手にとったことがきっかけだった。
随分面白そうなことをしていると思ったが、せっかくなので宮崎県内のいくつかの道の駅はスタンプを押しに行くことにした。当日は2駅押印した。
帰京してスタンプ帳とマップを読み込んだところ、九州各県内各所に道の駅があるのに驚いた。当時は宮崎県内を中心に近隣各県に旅行に行くことが何度かあり、車の運転が好きなためせっかくなので九州内各駅を回ってみることにした。とはいえ、マップだけ見ても各県内をどう回るべきかぱっと見では見当がつかない。このため、九州出身の知人や同僚に聞き回って各駅を回る計画を立て始めた。たまたま直近に大分や宮崎に旅行に行く計画があったので、併せて回ることにした。
この当時は、何年かかるかわからないが九州内を回ってみて見聞を広めてみようと考えていた。まさかその後に全国を回るとは、夢にも思わなかった。
 
2.全国道の駅旅案内
全国の道の駅が掲載された地図帳で、毎年更新版が発売されている。この地図帳を購入したことが全国に道の駅があることを知るきっかけになった。
初めて購入したのがいつだったのかははっきり覚えてはいないが、おそらくは九州編を始めてごく初期の頃だったと思う。道の駅内で発売されているのを見つけたのを覚えている。
この本を買ったことが、その後全国に拡大していったきっかけである。九州内のみならず全国各地に道の駅があることにとても驚いたが、旅心を大いに刺激された。いつか全国を回ってみたい、そう思うようになった。
 
<九州編>
さて、ここからは九州編の詳細を説明する。かねて日付と訪問駅をホームページに記録してあったが、記憶をたどりながら当時のことを思い出すことにしたい。