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チキンライスとは
2004/05/27
 
 チキンライスとは、東南アジアで広く食されている料理であり、日本で同名の料理(ケチャップライス)とは全く異なる。
 
 鶏肉を茹でてそのゆで汁で米を炊き、共に添えて供する料理である。ゆで汁で米を炊くので鶏肉のうまさを余すことなく味わうことが出来る。
 鶏肉はスープでボイルしたもの(ボイル)と蒸したもの(スチーム)の2通りがあり、また部位は胸肉・もも肉使用に分かれる。
 
 タレ・スープを付して供されるが、チリソース・中国醤油・生姜ソースの3種が添えられ、各人の好みで味付けを変えることが可能である。
 
 <チキンライスの作り方>
 1.鶏肉を下準備して茹でる
 2.茹でた際の茹で汁で米を炊く
 3.茹でた鶏を切り分けて米と共に添える
 であるが、1.の下準備ではチキンの臭み消しと味を調えるためにチキンにニンニクと生生姜、塩とクローブ粉末をふりかけてなじませ、筒状に丸めた状態で茹でる。カオマンガイではしばしば肉に生姜の固まりが含まれているのを見かけるが、この下準備の結果であった。
 一方2.では米を炊く前に米の下準備としてフライパンで米をニンニク、生姜と共に炒める。これは、1.で下準備しても鶏の臭みは完全には消えず、まして茹で汁で米を炊くのであるから、単純に米を炊くと脂やうまみが移る反面、臭みも移ってしまう、だから米もこうして下準備しておくことにより、炊きあがった後に米に鶏の臭みが移らないように工夫している、ということなのであろう。 
 3.ではソースを添える。
 
 チキンライスはシンガポールの名物料理とされているが、同種の料理が東南アジア各国に存在する他、我が国にもこの系統と思われる料理が存在する。
 
 チキンライスは別名海南鶏飯(はいなんじーふぁん)、海南チキンライスといい、シンガポールで中国海南省出身の移住者がチキンライスとして広めたといわれている。しかし、海南省には蒸し鶏(海南料理の一品であり)はあるが、チキンライスは存在しないらしい。チキンライスは一体どこでいつ出来たのだろうか。
 また、チキンライスと同種の料理はかなり広範囲にわたって各国に存在しており、それはなぜか、ルーツはどこにあるのか、興味深いところでもある。なお、ベトナムでは上海鶏飯とも呼ばれているが、謎はますます深まるばかりである。
 
 一方、鶏はもともとは中国雲南省、ラオス、タイ北部にいた野鶏を家禽化したものであり、紀元前3000年に遡るといわれているが、古来鶏は時を告げる鶏として神聖な存在であったという。我が国でも実際に室町時代までは鶏を食べる習慣がなく、食べるようになったのは南蛮人渡来期以降であったといわれている。南蛮料理を紹介した最古の文献「南蛮料理書」(鎖国完成期頃)によると、下記の通り紹介がある(1)。
 なんばんれうり  鶏をゆでて、ゆで汁で米をたく。くちなしで染める。
 とあり、チキンライスのことを指していると思われる。
 
 江戸中期に入ると、料理書の「料理網目調味抄」(享保十五年(1730))で「鶏飯」の名称で紹介がある(2)。
 鶏の内臓などを取り除き茹で、茹で汁でご飯を炊き、鶏肉を細かく裂き、炊きあがったご飯にのせ、だし汁をかけ、薬味を添える。
 これもチキンライスのことを指していると思われる。
 
 現在我が国にはチキンライスに当たる料理は存在しないが、「鶏飯」(けいはん)(奄美地方郷土料理)が存在する。鶏のささみをのせた汁かけご飯であり(沖縄では豚肉を使い「とんふぁん」の名称で同種料理あり)、当地方独自のもてなし料理から始まったといわれているが、沖縄、奄美地方は古来海上交通の盛んなところであり南蛮人の影響も大きかったと思われる。南蛮人渡来の影響があったのかどうか、これも興味深いところである。
 
 鶏が食の対象ではない記号としての意味からある時期にあるきっかけで食の対象となり、それが、中国人の各国への進出、南蛮人の太平洋地域での活動によって各国に広まっていったとするのであれば、その象徴としてのチキンライスを調べてみることは興味深いことと思われる。チキンライスは意味の転換なのか、それともクレオール料理としての発展なのか、いかなるメタファーが隠されているのか。
 
 本件では、チキンライスの試食をしながら文献調査、各国訪問(できたらではあるが)を行ってチキンライスについて食文化史の観点から探っていきたい。
 
現時点での参考文献、サイト
(1)片寄 眞木子「南蛮料理のルーツを求めて」平凡社
(2)つくってみよう江戸料理 江戸時代風「鶏飯」
   http://www.konishi.co.jp/html/fujiyama/column/ryouridokuhon/saikaku/ryouri.html